妄想と現実の間

妄想と現実の間

Yasushi Takahara oil paint

白い闇

 

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~解説~

油彩 F15号( 651×530 )

個展を開くにあたってまず最初に象徴となる絵を先に描き始めるのが、定番だ。

この時も、初めにこの絵のイメージが出来上がってたので、そのあとに個展のテーマを決めた。

 

雨の降る梅雨時。

かすかに見える視界を杖をたよりにお気に入りの場所にやってきて、視覚がなくなるその日までお気に入りの景色を目に焼き付けている。

視覚がなくなった後でもこの景色を思い出し、この景色がある限り、生きる価値のある人生を送ろうと心にきめて、決意をしている。

霧がだんだんと迫ってきて視界も雲に覆われている。もうそろそろか。

 

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この絵のヒントになった、さだまさし小説「解夏」の中にあった、視覚障がい者が言ったセリフで、「失明するということは、暗闇に落とされることではなく、白い霧の中にいるような感覚だ。」をイメージして描いてみた。

 

目が見えなくなるということは絵描きにとっては致命的だとおもっているが、世の中には障害をもったまま制作活動をしている人がネットの普及などで、人前にでる機会が増えたように思う。両腕のない画家もいれば、耳の聞こえない音楽家もいる。たぶん目の見えない画家もいると思う。

 

小説を読んだ(2003年公開の大沢たかお石田ゆり子主演での映画を先にみての小説読了。)当時と今とでは性別、障がい者への表現、発言等、テレビなどでも難しい時代となった。いままで、普通に表現していたものも今では非難の対象となることが増えた非常に息苦しい時代だと感じる。

逆にそういった時代に逆行した表現の欲求のほうが自分は強くなっている。影響力からしたら微々たるものでまさに蟷螂の鎌であるが、それが表現者であろう。タバコもバンバン吸っている人がでる映画も見たいし、ノーヘルで原付二人乗りした学生も見たい。

 

一子相伝暗殺拳世紀末覇者が悪党をボンボン爆発させたっていいじゃないか。となりでタバコ吸ってる旦那を結核持ちの嫁が布団にさそったっていいじゃなか。大飢饉で子供が人を襲って食べる映画も最後には号泣だ。それが美しいと感じる人もいるよ。リアルじゃないんだしフィクションの中の表現なんて個人の勝手だろ!!

 

この絵も、そんな人の「それでも」という生きていく絵を描いたつもりだが、健常者が障がい者の心持なんてわかるわけないし、そういった人の心を代弁したところで、伝わるかどうかもわからないが、自分としてはどうこうって気持ちを人に伝えたいという高尚な意図はもっておらず、障がい者の「がい」の字をひらがな表記にする運動も健常者からしたら、力をいれるところそこじゃない感が強いと感じるので、自分の主観と感覚で描いた。

 この絵はそこまで過激な内容ではないが、高所の足場の安定しない建物の屋上(そういう設定です。)を目の不自由な人を歩かせたうえに、障害を持つ人をそんなふうに健常者が表現するな!!といわれても気にしないが、東京パラリンピックをみていると、自分はこの人たちみたいに前向きに努力できていないので、選手の人たちはとてもたくましく、人生を楽しんでいるとうらやましく思う。

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ニワトリは二匹。

 

個展名 ~『それでも』と言い続ける展覧会 より~

この個展のタイトルは、自分が好きな小説家が作品の中の登場人物がよく言っていたセリフをもとに、どんな状況でも『それでも』と心に言い聞かせ立ち向かっていく人を描いた作品群です。深刻な問題から、そこまで重くない問題まで、いろいろな状況の人たちが出てきます。

 

~個展時の説明分より~

今日もまだ、見ることができました。

失明するということは、暗闇の世界に居る事だと思っている人が多いと思うが、実はそうではなく、真っ白な霧の中にいる感じと同じだといわれている。