胡蝶の夢
~解説~
油彩 F15号(652×530)
これを描いた当時は妊婦の裸体というものをまじまじと見たことがないので、ネットに頼るしかない。画像検索万歳である。
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)は、中国の戦国時代の宋生まれの思想家で、道教の始祖の1人とされる人物の荘子(荘周)による、夢の中の自分が現実か現実の方が夢なのかといった説話である。
夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。 (wikiより)
が、タイトルの意味だが、中国の思想家の思いを絵にしたというそんな大それた絵を描くつもりは全くないし、そこまで高い意識をもって絵を描いていない。
運命を司る天使か悪魔のような存在の妊婦が宇宙を連れてニワトリに乗って世界を回っている。
その道中に見つけてしまった蜘蛛の巣につかまった蝶の運命を悲しく思うのか、自然の摂理と思うのか。そう思っている妊婦の存在自体が蝶の夢なのか。という感じの絵である。蜘蛛の巣の蝶のような困難な時でも、「それでも」と心に言い聞かせ、wikiにあるように目的意識に縛られない自由な境地に達して自然と融和して自由な生き方をしたいという心の願望の絵である。
をタイトルとともに当時後付け設定で考えて個展のタイトルにつじつまをうまく合わせた。
ただ単に、星空の下を鶏に裸の妊婦をのせて描きたい欲を形にした絵である。